くりこま山車まつりとは

祭 の 由 来

   

栗駒岩ケ崎の鶴丸城は、伊達政宗が領有し直系重臣を城主とする藩政北域の要衝だった。 元禄七年、中村日向成義が陸中藤沢から岩ケ崎へ転封され、鶴丸城主となり、以後、中村氏が明治維新まで治めた。中村氏は、転封前の藤沢在城中、新田の姓であったが、後に与えられて中村の姓となった。藤沢には古くから「新田の大早苗振り」と称される領民あげての祭があり、栗駒の山車まつりは、中村氏が転封先の栗駒岩ケ崎でも引き続き祭を行っていたのが現在に伝ったものとされている。
祭はもともと農事に対する慰安として行われていたが、豊作を願う農民をはじめ、商工人等が領内一つになって行われるようになった。
往時は 「飾り山」 として固定されたものでしたが、後に人々の肩にかつがれたことから「かつぎ山」と称されるようになり、近年では車に飾られた豪華な山車が町内をねり歩く現在のまつりの形式となった。

祭 の 目 的

祭の構成は、歴史と伝統を誇る9台の山車巡行を中心として、宵祭と本祭の2日間となる。
初日の宵祭では、文字甚句に代表されるふるさと芸能の集い、この日まで各地区で練習を重ねてきた子ども達のおはやし競演会、婦人約200名からなる栗駒山唄等の手踊りパレード、山車の夜間巡行、迫力ある神輿大乱舞などが行われる。
翌日の本祭では、100名を超える若連によるおはやし一斉演奏、近隣の芸能団体による特別出演、9台の山車が地区内をねり歩く巡行が行われる。
こうした祭の諸行事に市内から老若男女が参加し、豊作や安全を願い、心のふれあいを深め、郷土の伝統を継承するとともに素晴らしさを認識し、祭を次代へ引き継いでいくことを目的とし、以て、観光で訪れるお客様に、本市の美しい自然を紹介し、素朴な人情味に接してもらうものとする。

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